総合商社と日系の自動車メーカーが海外にて共同出資で工場を作る。こんなケースがあったりします。総合商社にとっても自動車は大きなビジネスの種。
メーカーと商社の現場ではどんな攻防があるのか、自動車メーカーの立場から総合商社を見てみます。
旅立ち
シンガポール航空のビジネスクラス。
23:50羽田発のフライトでフルフラットのボックスシートで横になる。
ひと口だけシャンパンをもらい、すぐに眠りにつく。
レッドアイは苦手だが、効率的に1日を使うにはこれほど快適なものはない。
現地に着いたらすぐにインドネシアへトランジットをしなければならない。
インドネシアに行くのは5年振りだ。
現地に工場を立ち上げた怒涛の3年が昨日のように思い出される。
日系自動車メーカーCの経営企画担当の木村は今、本社で中期経営計画を作る担当をしている。
8年前、初めて中期経営計画を作る担当となった際に、
「日本で生産し海外で販売するモデルはもう終わる。海外で生産し海外で販売するモデルに変わる必要がある」
と力説していたものだ。
当時の役員陣は技術の流出を懸念したり、海外の人の働きぶりを信頼していなかったりと、かなり海外に生産工場を作ることに後ろ向きだった。
しかし、大手自動車メーカーの事例をスタディし、今後のこの会社の将来を説き続けることで、少しずつ自分の味方が増えていってくれた。
「木村君、今度インドネシアで工場を作る立ち上げをしてきてくれ」
と役員から通達を受けたのは、少し周りが理解してくれたな、と実感を持ってすぐのことだった。
言い出しっぺの自分が、海外で成功事例を作って来い、ということだ。
論より証拠。この会社らしい。
そうしてインドネシアに3年かけて工場を立ち上げるプロジェクトをスタートさせた。
上司は一人の男を紹介してくれた。
「日頃からお世話に成っている総合商社Uの方だ。インドネシアで地場の企業とのネットワークを持ってらっしゃる。総合商社は現地のことをよく知っているから、色々と聞いて一緒に動くといい。」
総合商社Uは財閥系、うちの会社とは古くからの付き合いであることは知っていた。生産現場管理をしている時も資材の調達等で何度もお世話になったことがある。
「総合商社Uの白井です。普段はインドネシアにいて、今日は顔合わせのために一時帰国しました。現地でお困りごともあるでしょうが、全力で一緒に戦います。よろしくお願いします」
すらっとした長身、ごついがたい。ラグビーやアメフトでもやっていたのだろうか。自信に満ちたいい顔をしている。総合商社の中でも活躍しているのだろう。
そういえば自分は就活の時に総合商社落ちて自動車メーカーに来たっけな。
どれだけ優秀な人材なのか。お手並み拝見と行こうか。
現場
インドネシアの街は世界で最も渋滞が酷い。
本当に進まない。約束の時間なんてあってないようなものだ。
総合商社Uのオフィスに着くと、自分の上司と総合商社Uの白井がいた。
「どうだ、こっちの生活は?少し慣れてきたか?」
「ぼちぼちです。買収する土地も決まりましたし、ようやくこれから本格的に動き出せますね」
総合商社Uの白井が現地の財閥系企業との間で、ジャカルタから車で2時間ほどの好立地に工場用地を用意してくれた。買収もほぼ固まっており、2か月後に着工することが決まっている。
買収用地にはまだ人が住んでいるが、後2か月でみんな違う土地へ移ると聞いている。総合商社Uの現地でのネットワーク、交渉力はたいしたものだ。立ち上げに際してはお世話になりっぱなしだ。
「ちなみに、工場の建設のためにこっちに現地法人を作らないといけない。当社としても海外の生産拠点は初めてなので、リスクが相応にあると考えている。そのリスクを軽減するためにも、総合商社Uとの共同出資会社とし、一緒に運営していくことにしたいと思う。うちが60%、Uが40%だ。うまくやってくれ。」
上司からそう告げられたが、その時は総合商社Uの白井の働きぶりには感心していたので、一緒に仕事ができるのであればまぁいいか、という程度に考えていた。
1か月後、買収用地に行ってみると、まだ人は住んでいる。そして、畑を耕して、何やら作物の種を植えている。
あと1か月でいなくならないといけないので、これから作れるものなんてあるのだろうか?
会社に戻って白井に聞いてみる。
「現地の財閥に任せているから大丈夫ですよ。とにかく力のある人たちなので」
・・・そういうものなのか。
嫌な予感がした。
その日は来た。工場着工の日。
ジャカルタ市内から現地に向かう車の中で、不安を隠せないでいた。
「なぁ白井、今日大丈夫だよな?」
「大丈夫だよ。現地の力のある人に任せたんだ。この人たちに頼んでダメなものは、僕らではどうにもできないよ。」
木村が現地に着くと、盛大な歓迎を受けた。
現地の人が、鍬やノコギリといった農具を手に構え、ものすごい形相でこちらを見ている。
なんだ?
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
何か話しているようだが、何を話しているかはわからない。
「白井、どうなってるんだ、これは?」
「俺にもわからないよ、、、とにかく現地のコーディネーターに連絡してみる」。
住人はずっとこっちを見つめて立っている。特に攻撃を仕掛けてくるでもない。
どことなく、寂しげな顔をしているのは気のせいだろうか。
白井が戻ってきた。
「木村、一旦退散だ。今日は何もできない」
「は?何がどうなっているんだ?事情を話してくれよ」
「いいから帰るぞ。ここにいても仕方がない。」
瓦解
頼りにしていたインドネシアの財閥は、金だけもらったくせに、何もしていないことがわかった。
これが途上国でビジネスをすることの厳しさか、、、
白井が
「彼らに頼んでできないことはできないよ、少し作戦を考えよう」
というので、突っぱねた。
「バカか。こっちは金だって払ってる。建設会社だって手配してあって、もう着工する準備もできているんだ。着工が遅れれば遅れるほどにコストは膨らんでいく。この工場を成功させることがどれだけ我々にとって重要なことかわかってるのか?!こっちは社運をかけてるんだ!」
総合商社Uがいたところでこんなことになるんなら、自分でやったって変わらないじゃないか。
単身、インドネシアの財閥に行ってみることにした。
「うちはお宅にお金を払ったよな?しっかりその分仕事をしてくれ」
「しかし、住んでる奴らがなかなかどかないんだ。どうしようもない」
「どうしたら何とかできる?」
「あと1万ドルあればすぐにやれる。」
「だめだ、5,000ドルでやってくれ」
「OK」
翌朝、現地の住人の住んでいた家はきれいにすっからかんになっていた。
おそらく財閥の奴らとここに住んでいる人たちはグルだったのだろう。
「日本のよくわからない奴らから少しお小遣いをもらおう」
くらいに考えていたのだろう。
白井なんかに任せていたら時間がかかって仕方のないところだった。
これで着工できる!
自分で進めてきた、「海外生産&海外販売」の体制に向けた第一歩がスタートできるのだ!
しかし、総合商社Uとのパートナーシップは厄介だな。
こいつらがいると仕事が遅くなって仕方がない。
頼りになると思っていたが、土壇場にならないと人の価値はわからないものだ。
これからの付き合い方も気をつけなければならない。
主導権
ほどなくして建設工事が始まった。工事が始まってからは順調だ。
現地の人の採用もスタートし、操業開始する日程も少しずつだが見えてきた。
現地の採用は人が溢れているので困らない。その中からいかに日本のきちっとした文化に馴染める人を探し出すのかが重要だ。
採用は全部で300名、少しずついいと思える人を選んでいく。
産業機械が入ってくるといよいよ工場の完成が見えてくる。
それに合わせて、工場が操業できた時にどのようにこの工場を管理運営していくかを詰めておかねばならない。
人事、労務、資金管理、情報管理、IT、設備、そして大きいのが部品、資材調達だ。
部品の安定的な供給は工場の安定稼働に対して肝になる。
大小1万以上の部品を必要とする自動車の製造では、この資材調達が経営に対して与えるインパクトは限りなく大きい。
どれくらいの部品であれば現地の誰の裁量で購入を意思決定でき、どれくらい大きなものであれば本社の承認を得ないといけないのか。
こんな資材調達に対するルールも決めなければいけない。
そこに、白井がひょっと現れた。
「資材調達に関する承認フローまとめておいたので、目を通しておいてください。よっぽどのことがなければ基本はこれで行くので、問題がある場合だけ教えて。」
何か嫌な言い方するな、、、
とりあえず目を通してみよう。
・・・・驚愕した。
全ての調達について総合商社Uの承認を得ないといけないことになっている。
総合商社Uは基本的に部品の調達を全て総合商社U経由とすることで、調達をする際のマージンを抜こうとしているようだった。
部品の製造会社から直接買い付ければ100で済むところを、この工場は110払わなければならず、10が総合商社Uの儲けになる。
つまり、この工場で生産される車の製造原価が10%も上がってしまう。
こんなことは許されない!
車自体の利益率は20〜30%くらいのものだ。調達原価が10%も上がってしまったら儲けは半分になってしまう。
日本国内の仲間は1円を絞り出すために●銭の交渉をサプライヤーとしているのにもかかわらず、ここで総合商社Uに10%も支払うことなど認められるはずがない。
すぐに日本本社へ連絡し、状況の顛末を説明した。
自動車メーカーCはそれなりに力のある会社だ。総合商社Uといえど強い態度には出れない。仮にこの工場が成功したとすると、次々に海外に工場を建築していくことは目に見えているため、今回のスキーム作りには慎重だ。
総合商社Uの言い分としては
「現地で優秀な信用できる部品のサプライヤーを見つけることは難しい。なのでその仕入先の選定など、総合商社にしかできないことがある。それに対する対価はもらってしかるべきである」というものだった。
それであれば本社の購買担当をインドネシアによこしてそいつに交渉させればいい。
白井の時に懲りているのだ。
結局総合商社にとっては自動車の製造は「当事者」でないのだ。
「人のビジネスを手伝っている」というものだ。
そんな奴らにこの厳しい途上国マーケットでのビジネスを任せていられない。自分たちでやった方がいいに決まっている。
この調達だけは譲れない、、、
厄介なのは、総合商社Uが40%の株式を保有している、という事だ。
40%持っていると「拒否権」というものがある。
会社が重要な決定をするために株主総会を開くのだが、34%以上の株式を保有していると、会社がやろうとしている事に対して「いやだ」と主張する事ができるのだ。
なので、本件は相手をしっかり説得して、納得してもらわないと進める事ができない。
自動車メーカーCの力を結集して、何としても戦わなければならない。
決着
現地の共同出資会社の出資比率の見直しを含めたスキームを提案し、本社の社長から向こうの副社長に何度も提案をしてもらい、なんとか総合商社Uを説得する事ができた。
そして迎えた竣工式、日本から社長がやってきて、この工場の未来、従業員への期待、世の中を良くすることへの信念を語る、素晴らしいスピーチだった。この工場が、東南アジアの経済を大きく動かす原動力になるのだ。
そう思うと泣けてきた。
この時の高揚感は5年が経った今でも忘れられない。
自分の人生で誇るべき仕事だ。
しかし、相手が日本人とはいえ、誰かと一緒にビジネスするのはとても疲れる。
失敗もたくさんあった。
仲の良い総合商社と言っても相手もビジネスなのだ。お互いにどうしたらwin-winになれるかをしっかり考えてからでないと、共同出資なんてスキームを組むべきではなかった。
新卒の就活で落ちた総合商社。誰もが入りたい、超人気の企業だった。
確かに、現地にネットワークを張り、土地を見つけてきてくれた。
とてもありがたい存在だった。
フロンティアとして未開の地を切り開き、日本の企業が現地で活躍できるように支えてくれる、心強い味方だ。
一方で、やはり彼らは「メーカー」ではないのだ。
最後、信念を持ってビジネスを軌道に乗せるのは自分でやらなければならない。
マイナー出資の総合商社はビジネスが上手くいっているかどうかモニタリングすることはあっても、最後まで気合を持ってやり遂げる、というのがメジャー出資をするメーカーが責任を負わなくてはならない。
「きっかけ」を創出するのは総合商社だが、
「成功する」のは自分たちメーカーがやり遂げなければ、誰も助けてはくれないのだ。
そういう意味では総合商社ではなく、メーカーの方が自分には合っていたのかもしれない。
新卒の時なんてわからないことだらけなものだ。
その時点での優秀さなんてものは関係なく、入社してからどう活躍するか、が大切なのだ。
5年振りのインドネシアに向かいながら、日本に戻ったらそんな話を後輩たちにしてやりたい。そんなことを考えている。
まとめ
これは、日系自動車メーカーの海外工場建設プロジェクトを担当していた人間の話を元に、フィクションに落としたものです。
できる限り総合商社とメーカーのビジネスの立場の違いを分かりやすく描いたつもりではあります。
商社はモノを流す仕事から事業投資会社へと変貌を遂げた、とよく言われるのですが、現場で実際に起きているのはこの自動車工場のように、出資して発言権を持ち、モノの仕入れに対して主導権を取りに行き、その鞘で儲ける、というものなんです。
これが全てではないですが、総合商社がやる投資はマイナー投資が多いので、その場合はこんな話になりやすい、ということは是非覚えておいてください。